昨日の八重の桜は、山本覚馬の妻である時栄が郷土の覚馬や八重の後輩である青木栄二郎との不倫で、山本家を追われるというものでした。この辺りはかなり深いところがあるようで、一概に時栄を責めるということはできないようでもあります。
まあ、結局八重という人がとても意固地な人なので、現実的に山本家の家名を汚したということで追い出してしまったのかなと思ったりしていますが、インターネットで色々と調べてみると、昨日のドラマのように単純ではないようです。ただ、山本家にしても時栄にしても、元々武家の出身ということもあるから、そういう不義があったのかということは疑問がありますが。
ただ、八重の桜は八重たちが京都に来て以来、一族のエピソードを放映している回がずっと続いてます。ただ、歴史的に言うと明治時代はとても重要な時代なのに、制作側がネタがないから無理やりストーリーを作っているという印象が強いのです。
明治時代は、実に重要な時代で、まず明治時代というものを作るために多くの人が亡くなっています。ただ、その犠牲が大きかったこともあり、時代の先導している人たちには新しい日本をなんとかしないといけないというところが大きく、特に海外を知る人達が中心になって日本を建設しようとしました。
それに対する反乱が明治10年まで続きました。明治政府はことごとくそれらを鎮圧し、西南戦争で日本最強の武士団であった薩摩士族を完膚なきまでに叩き潰すことによって、表面的な武士の時代の終焉をもたらしました。
その後明治20年代は伊藤博文と山県有朋が中心となって、日本を作っていきますが、面白いのはともに長州藩出身ですが、山県は武士の最下級である足軽の出身、伊藤にいたっては武士でさえなかったということです。そんな二人が有能であるということで、日本のトップに立ったというのは、明治維新が革命であったという大きな証でもあります。
その20年の日本人の頑張りが、明治27年の日清戦争、明治37年の日露戦争で勝利を掴むということになりました。日本の政治や軍事は、明治維新の時に官軍だった藩が、もっと具体的に言えば薩摩藩と長州藩がほぼ独占をしました。これは革命の果実を主導した勢力が握るというのはアタリマエのことです。
それ以外の藩、特に朝敵とされた会津藩は日本の教育に尽力をしました。山川健次郎は、東京帝国大の初代総長を努めただけでなく、その後京都帝国大学、九州帝国大学、東京帝国大の早朝の再任などを努め、明治の大教育者になりましたし、八重の兄である山本覚馬にしても京都の近代化や同志社大学設立の大きなサポートをするなど、大変な活躍をしました。
本来こういうことがたくさんある明治時代なのに、八重の桜では不倫だとか、来週にいたっては駆け落ちが主題になるという、実に内容がチープなのです。もちろん男女の問題というのは、とても重要だし、僕も相当それには翻弄されてきましたが、時代のうねりが大きい時と比べるとやはり話の内容が小さい。
立場という問題があるにせよ、篤姫は滅び行く幕府に殉じながらも、自分の故郷である薩摩と大変な綱引きを展開したりしていて、ああ、こんなすごい人がいたんだと思ったものです。ところが八重に関しては、立場が小さいというよりも、色々な場面で我を張っているだけという描かれ方をしてるんですよね。これは、総じて八重のプラスにならないのではと思うのですよ。特に時代とは全く無関係のことを延々とやられると見る方も疲れてきちゃう感じです。
Wikipediaで視聴率をチェックしたら、先週は10%です。スタート当初は20%超えていたのに、この体たらく。実際に最初は面白かったけど、どんどんつまらなくってるので、しょうがないっていえばしょうがないのですが、いいんでしょうか、こんな状況で。