昨日の八重の桜は、悲劇の幕開けという感じで、敵が攻めてくるというのはどういう感覚なのかわからないけど、怖かったんだとおもいますね。その後鶴ケ城が落城するまで、いろいろな悲劇が起きるので、それはこの後の番組を見ていこうと思います。
なので、軽く僕の方でうんちくを語っていくと思うのですが、薩長が政権を握ってから、政治の分野と軍事の分野は薩長が握りました。伊藤博文から始まる日本の総理大臣については
1:伊藤博文=長州
2:黒田清隆=薩摩
3:山県有朋=長州
4:松方正義=薩摩
5:伊藤博文=長州
6:黒田清隆=薩摩
7:松方正義=薩摩
8:伊藤博文=長州
9:大隈重信=佐賀
という感じで、9代目に至って薩長以外から総理大臣が出ている。ただ、大隈にしても新政府が設立した時点で参画しているし、内閣制度が出来る前に参議を務めたりしているので、とっぴな人事ではありません。薩長以外の藩から総理が生まれるのは、なんと大正に入ってっからで、いかに薩長が政治を壟断しているということがよくわかります。
美味しいところを、天下を取った薩長が独占しちゃうのはそれはしょうがないのですが、会津で言うと教育界で大きな実績を残した人が多い。八重のお兄さんの山本覚馬は、新島襄とともに同志社を設立して、関西の私学に大きく貢献をしました。ちなみに同志社大学の今出川キャンパスはもともと山本覚馬の家の敷地とのことです。
あと、今のところ、地味な所でしか出て来ませんが、山川健次郎。この人は、年齢が足りなくて白虎隊に入ることが出来ず、会津がもう負けるという時点で、会津の大人たちが優秀な健次郎を無理やり逃したという経緯があり、健次郎もその後アメリカに留学し、その後東京帝国大学の総長を務め、その後、九州帝国大学の総長、京都帝国大学の総長、そして再び東京帝国大学の総長を務めるという、大変な教育者の生涯を送ります。
この人のお兄さんである山川浩も明治後軍人になり、西南戦争で大活躍をしてます。彼は薩摩軍を攻撃するときには、戊辰の仇!と言って攻撃をしたそうですね。気持ちはよくわかります。そもそも薩会同盟で裏切っているわけですからね、薩摩は。その後浩は、御茶ノ水女子大学や後の筑波大学及び付属学校の校長となり、大きな実績を残しているのです。
あと、中村獅童が佐川官兵衛の役をやっていて、この人はあまり佐川のことをおそらく研究してないと思うんだけど、この人は大変人望のある人だったようで、彼は軍人として政府に招かれ、西南戦争に出征してます。彼の場合は戦死するのですが、彼が率いた会津兵はもちろん、彼らが駐屯した土地の人達にも慕われたという話が残ってます。
ま、歴史というのはあとになって振り返るのはとても簡単なことですが、会津もやられっぱなしではなかったというのは良かったなと思うし、色々と見ていると、実務的には会津の人たちは相当な実績を残しているわけで、この辺りは尊敬できる人たちだと思います。
ところで、来週はいろいろな悲劇が起きます。一番の悲劇は西郷頼母の女の人達が、全員自死を選びます。NHKのスタジオパークからこんにちはに出演していた頼母の奥さん役を演じている宮崎美子が、テレビでその演技に対して号泣していたので、相当引きこむシーンのようです。