昨日の八重の桜は、久しぶりに内容の濃いものでした。と喜んでいたら、なんと来週最終回。なんか唐突な幕引きと言うか、いつの間にかあっさり時間が短縮してしまった感じで、唐突という感じは否めない感じでした。
昨日の見どころとしては、松平容保が京都守護職時代に当時の孝明天皇から最も信頼され、宸翰が孝明天皇から送られていたという事実を、山川兄弟が容保から伝えられるというシーンはやはり感動的でした。
この孝明天皇からの宸翰が送られていたというエピソードは、司馬遼太郎さんのエッセイーにも書かれていて、司馬さんのものによると、容保は死ぬまでペンダントみたいに竹筒を首にかけていて、風呂にはいる時以外は常に身につけていたそうです。
それだけこの宸翰には容保の無念がずっとこもっていたわけですが、それは知らないうちに朝敵とされた会津藩の人たちの共通の気持ちだったと思います。結局、明治維新と言うのは革命ですから、陰謀というものは常につきものだし、前政権の権力者というものは普通血祭りにあげられる事になってます。
たとえば、フランス革命だってそうだし、ロシア革命だって前王朝の人たちはことごとく処刑されました。最近だと、東欧で社会主義政権が崩壊する流れになり、最も専制政権であったルーマニでは、一時内戦状態になり、最終的には当時の最高権力者だったチャウシェスク大統領が有無を言わさずに処刑されました。リビアでもそうです。カダフィ大佐はあっという間に殺されてしまった。
ですから、明治新政府が成立した時は、新政府は旧幕府側に対して無理難題を押し付けました。それはそうすることで、前将軍の徳川慶喜を挑発して内線に持ち込むというのが、岩倉、大久保、西郷の戦略。ところが、徳川慶喜は頭がいいので、逃げまくったり、勝海舟を使ってイギリスに助命運動をしたりしたので、薩長側は慶喜を討滅できなくなってしまった。
ところが、革命である以上生贄は絶対に必要であり、そのターゲットが長岡藩だったり、会津藩だったりして、そこで悲惨な北越戦争や会津戦争が起こってしまった。まあ、会津の場合は幕末に新選組を抱えて、その新選組が京都でやり過ぎたということもあり、特に長州からは恨みを買ったという事情もあります。その恨みというものが、結局斗南にという不毛の地に会津を移すという、国がらみで会津をいじめ抜いたということもありました。
ただ、会津が素晴らしかったのは、優れた人材はそれなりに活躍したということであり、その代表格が山本覚馬であったり、山川健次郎だったりするわけで、そのあたりが昨日は上手に表現されていて、久しぶりというか、京都編においては最もよく出来ていたんじゃないでしょうかね。ここずっと、山本家や新島家の個人的な事情を延々と見せられて食傷気味になっていましたから。
それで良かった良かった見ていたら、なんと来週最終回ということになりました。あっさりしてるなあ、しかし。