昨日の八重の桜は、ついに鳥羽伏見の戦いが始まってしまい、これから会津は悲運の道を歩み始めます。これからは当分は心の優しい人は、新政府の徳川へのやり方に対して悲憤を感じるでしょうね。それだけ新政府側のやり方はひどいと言っちゃあ、ひどいのです。
昨日はとにかく会津の武闘派と思われる人々が、薩長のやり方に対して激怒しているシーンが流れましたが、これは薩摩の策略通りに動いているわけでして、番組後半では庄内藩が薩摩の三田藩邸を焼き討ちしたという事件も、薩摩の目論見通りで、反薩長方は、まんまと薩摩の思惑通りに動いてしまった。
薩摩としては、とにかく戦争のきっかけとなることをしたい。そのために徳川を挑発して徳川の方から攻撃してくるのをまっていて、それを親幕府勢力が自発的に乗ってくれば、これでいくさが始められる。いくささえ始まってしまえば、幕府勢力の人数が多くても、武器の精度が圧倒的に上の薩長が有利だという目論見が薩長のリーダーにはあった。後は陰謀の才能がある大久保利通と岩倉具視が組んだことで、徳川方はすべて後手後手に回ってしまい、敗亡の道を歩んでしまう。
昨日、鳥羽伏見の戦いに会津に幕府軍の使者が何かあったら援軍に来るのでその時は言って欲しいというシーンがあり、結局戦いが始まると逃げてしまい、会津の林権助が地団駄を踏みましたが、幕府が薩長に負けてしまったのはこういう幕府の性根のない旗本のお話にならないくらいの弱体化にあったというのは、よく言われています。
例えば、この鳥羽伏見の戦いが始まる前には、滝川播磨守という旗本が超強硬派で、薩長討つべし!と非常な勢いだったのですが、鳥羽伏見の戦いが始まって砲声が響くと、部下さえも置き去りにして、ものすごい勢いで逃げてしまい、結局粉塵奮闘したのは会津と新撰組だけだったという話があります。この例は良く司馬遼太郎さんが引用するのですが、薩長と幕府方の違いというのは、こういう指揮官の心の強さの違いだったと書いてます。僕もそう思います。
この後、会津の松平容保は、大阪城に行き、大阪城にこもると今度は薩長側に錦旗を掲げます。この錦旗というのは、持っている方が官軍だよということになり、それに対峙する勢力は賊軍だということになり、その一報で徳川慶喜は戦意を失い、松平容保・定敬兄弟を連れて強引に大阪城から逃げます。しかも、慶喜は容保・定敬兄弟を置き去りにして、寛永寺に引きこもってしまい、恭順の意を表明してしまったので、官軍も振り上げた拳を慶喜に向けられなくなり、それが会津に向かってしまうということになり、会津の悲劇が生まれるのです。