2014年6月5日木曜日

西武ライオンズ伊原監督の休養


今朝のスポーツニュースのトップは西武ライオンズ伊原監督の休養について。実質辞任で今後のライオンズにおける指揮はしないということで、田辺コーチが監督の代行をするということが決まりました。しかし、日刊スポーツの写真は寂しい後ろ姿です。


僕は西武ライオンズファンでした


僕自身は、ここ10何年野球とは縁遠い生活をしてましたが、子供の頃からプロ野球は好きでしたし、通学していた高校が野球の名門校ということもあり、スポーツでは結構好きな方です。

その中で西武ライオンズは地元でしたから、何度もライオンズ球場に行き、応援に行ったことは今でも覚えてます。今は知りませんが、昔のライオンズ球場は土日に外野を開放してくれて、当時の外野は芝生だったので、寝っ転がりなら野球観戦を楽しめたものです。

西武ライオンズの成り立ち


西武ライオンズというチームは、当初太平洋クラブライオンズを西武鉄道が買収して、亡くなった根本恒雄さんがチームの土台を築き上げて、その土台を元に広岡さんがチームを強くして、その強くなったチームを森さんが常勝チームにして、一気にパ・リーグの覇者になった観がありました。その基礎は僕が見るに広岡さんで、その時の守備走塁コーチだったのが伊原さん。伊原さんは広岡さんから森さんが監督の時もコーチをつとめて、ここで管理野球に価値を見出したのかなと思うのです。実際に次の東尾が監督になった時はあっさり首になってますからね。

もともと、川上野球を西武で実践し、それが圧倒的に強くなり、また、当時根本さんが引っ張ってきた選手が大いに育ったこともあって、圧倒的に強くなりました。伊原さんの野球界での歴史的なものとしては、巨人との日本シリーズの時に、クロマティがいい加減な送球をするであろうということを予め想定していて、それが見事にあたって、辻がホームに突入させたところ、これが伊原さんをして名3塁コーチと呼ばれる所以になりました。動画あります。


ライオンズが変貌したのは、当時のオーナーである堤さんが生え抜きにこだわった点。

結局森さんの後を東尾が監督になることで、今までの管理野球が崩壊。伊原さんの前任である渡辺さんもどちらかと言えば、東尾系列だから、自由奔放路線いい時はいいけど、悪い時は結局ダメになってしまう。

それを危惧して伊原さんは規律重視の管理野球を推進しようとしたけれども、それが今の選手には通じなかったということで、それはあまりにも今年の成績が悪かったので、馴染められてないんだろうなというのは、負けゲームを見るたびに思ってました。

コーチとしてすごい実績を残していたので、こういうやめ方はかわいそうですね。でも、歳ももう65歳だし、選手たちともジェネレーションギャップがあったんじゃないかなと思っています。

ニュース検索では


「伊原休養」で検索すると、


ニュース的には、スポーツマスコミから嫌われていた感じがしますね。特にスポニチの記事は辛辣で
伊原監督“休養”ナゼ?前近代的な指導や規律にナインの心が離反
少し記事を引用すると、
「休養」といっても、事実上の解任であることは否定できないだろう。成績不振もさることながら、球団が看過できなかったと思われるのが、伊原監督に対してナインの心が完全に離反していたことだ。
中略
 また、就任と同時に、長い裾のユニホームやひげを禁止、門限も午後10時に設定。野球以外の部分でも厳しい戒律を求められたことで、選手は口に出さないまでも反発を強めた。
中略
シーズンが始まれば、敗戦時にはメディアの前で選手を容赦なく個人攻撃することも少なくはなかった。この姿に「あの人は勝ったら自分の手柄で、負けたら選手の責任」と吐き捨てる選手もいた。
 すべては、自らが指揮を執り、02年にリーグ優勝を果たした「古き時代の強いライオンズを取り戻す」ためだったが、当時とは選手気質も違う。11年前同様に「鬼軍曹」を貫いたところに悲劇があった。
こんな感じで、厳しい。

ツィートでも擁護派少数でしたー勝負の世界は厳しい


ツィートではどういう声が聞こえるかというと伊原擁護する人とと厳しい意見を持つ人の二つに分かれていて、

擁護するツィート


擁護する人のツィートはというと、

厳しい意見は


厳しい意見を持ってる人はというと、
一部をご紹介していますが、全体的には擁護する方がが少数意見で、厳しい意見のほうが圧倒的に多いのです。勝負はまさに勝てば官軍の世界で、実に厳しいなと改めて思った次第です。