昨日の八重の桜は、新政府軍が会津に侵攻し、会津にとっては凄惨な戦いが繰り広げられました。僕は司馬さんの本を読むことが多いので、幕府方の歴史はあまり詳しくないのですが、陸上戦になると人と人が殺し合うという実に悲惨としか言い様がない事が展開されました。
新政府軍が河井継之助率いる長岡藩と戦ったときは、長岡城争奪戦が長岡城下で繰り広げられ、多くの人が罹災民になりました。この場合気の毒なのは、士族同士の戦いに町民や農民が巻き添えを食うということです。北越戦争でも多くの犠牲者がでました。
会津でも同じような市街戦が繰り広げられました。僕は知らなかったのは、中野竹子はじめ武家の女達が新政府軍と死闘を演じたということです。しかも薙刀で女性たちは戦いを挑み、近代兵器をもつ新政府軍の前には全く相手にならなかったとおもいますね。確か前々回の八重の桜で八重が「薙刀では敵に勝てね」というセリフがありましたが、全くその通りの結果になりました。
当時の日本で最も武士らしさを追求したのが、薩摩藩と会津藩で、この2藩の兵士が最も強いと言われたのですが、こういう戦いを見ていると、武士のつらさを強く感じるのです。つまり、武士というのは、殿様から禄をもらって生活をしてます。つまり、殿様によって生きていけるようしてもらっている(と家臣たちは考えている)。そういうものが封建時代なので、もし殿様に一大事がおきれば、家臣は命に代えてでも守らないといけないというのが武士道です。
そういう武士道について、その手の逸話はたくさんあって、一番有名なところは忠臣蔵です。浅野内匠頭が吉良上野介に辱めを受けて、殿中で吉良上野介を刀で怪我をさせたことでお家は断絶となり、その報復ということで吉良邸討ち入りということになりました。
会津戦争では、新政府軍の方はそういう古典的な武士道から脱却しているということもありました。それは革命勢力の主体が薩摩では西郷や大久保が下級武士出身であったり、長州でも奇兵隊という人民軍が主体になったということもあって、ある意味封建体制が崩壊しているという観がありました。
会津は昨日の八重の桜でも放映されたように君臣が一体となり、新政府軍と戦った。しかも、川崎八重は自ら鉄砲で敵と戦い、他の女性も薙刀で戦ったというのは悲惨としかいいようがなくて、昨日は涙がこぼれましたね。特に会津では家老の家である神保家の雪が、新政府軍に生け捕りにされ、木に吊るされているというシーンは痛々しかった。
そろそろ悲劇はお腹いっぱいになってきたので、夢を持てるシーンがそろそろ見たいです。